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目次

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目次

・発刊に寄せて 「深川に生きて 河野順吉伝」出版記念協賛会会長 石田 明男..........4
・発刊を祝して 北海道知事 高橋はるみ.............................................................................. 6
・出版を記念して 北海道教育委員会教育長 佐藤 嘉大....................................................8
・発刊をお祝いして 元北海道青年会館理事長 岡  泰一..............................................10
・河野順吉伝発刊を祝して 元深川市農業委員会会長 関下 正夫.................................. 12
・「青年団こそわが人生」発刊を祝して 翼の会世話人 堀  利幸.............................. 14
・幅広い活動は地域の宝 北空知青年団OB会会長 田中 盛亮......................................16
・「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり 友人代表 木村亀太郎.......................... 18
   *  *  *
・『河野順吉伝』のこと 文芸評論家 志村 有弘........................... 20

深川に生きて 河野順吉伝
・プレリュード.......................................................................................................................24
・第1楽章
  出生・幼少期...................................................................................................................26
  腕白少年..................................................................................…

発刊に寄せて:『深川に生きて 河野順吉伝』出版記念協賛会会長 石田 明男

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発刊に寄せて
「深川に生きて 河野順吉伝」出版記念協賛会会長 石田 明男

 地域のニュースを伝える郷土紙・北空知新聞社が創業後初めて企画連載された前深川市長河野順吉氏の半生を追った自分史とも言える「深川に生きて 河野順吉伝」を毎回興味深く読んでおりました。
 このたび、「深川に生きて 河野順吉伝」の出版の声が各界各方面から数多く寄せられましたことを受け、河野さんと親交のある有志をもって協賛会を立ち上げまして、小生がその発刊の任を引き受けたところであります。
 振り返って見ますと河野さんとのお付き合いは、深川市議会の同僚議員として様々な議会活動を通しまして、微力ではありましたが共に市民の福祉増進はもとより深川市の発展を願いながら日夜、地域に足を運びながら市民の声を議会に届けてまいりました。
 議員時代の河野さんは、人当りの良さから敵を作らず自ら相手の懐に入っていく、もって生まれた人徳があり誰もが真似のできないものがありました。各政党の政策の違いで議員同士の問題解決に当たっても率先して対話の精神でまずは相手の話にじっくり耳を傾けてから、意見を述べておられました。
 私が深川市議会議長に就任したときに河野さんは副議長として支えてくださり、とりわけ議会開会中は常に円滑な議会運営を果たすべく裏方として粉骨砕身の働きをされまして、まさに深川市議会の中核を担っておりました。
 また、道外で開催されました全国市議会議長会議で共に出席したときに、河野さんが青年期に中央において日本青年団体協議会副会長の要職を担って大いに活躍されていたこともあり、その当時の全国の青年団仲間の多くが議員として各県において活動されておりました、私は河野さんが会議の合間に全国各市の議長と談笑している姿を何度も拝見し、河野さんの人脈とその顔の広さに改めて驚いたことを昨日のことのように覚えております。
 深川市長に就任されてからも、終始一貫市民の中に自ら飛び込んで様々な声を聴きながら地域の要望を着実に達成されました行動力と行政手腕を私は高く評価している一人であり、河野市長時代に深川市民の幸福度は一段と向上していたものと認識しています。
 市長在任中は、市職員とともに「チームワーク・フットワーク・ネットワーク」をモットーに、休日返上で自らの健康も顧みないで政策課題に果敢に挑戦されておりましたことに尊敬の念を抱いてお…

発刊を祝して:北海道知事 高橋 はるみ

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発刊を祝して

北海道知事 高橋 はるみ
 このたび、北海道青年団OB会会長の河野順吉様の半生を綴った「深川に生きて 河野順吉伝」が発刊されますことを心からお祝い申し上げます。
 河野様は、これまで、北海道青年団体協議会会長を務めるなど、本道における青年団活動のリーダーとしてご活躍されており、昭和43年には、北海道一〇〇年記念事業として実施された北海道青少年育成推進協議会(現・公益財団法人北海道青少年育成協会)主催の「北海道中堅青年海外派遣事業」に参加されるなど、様々な活動に取り組んでこられました。
 また、青年団の卒団後においても、北海道青年団OB会会長として、後輩の育成に努められるとともに、機関誌の「北海青年」において北海道の将来に関し様々なご提言を発信されるなど、青年団活動等を通じ、永きにわたり地域振興や人材育成にご尽力をいただいているところであり、心から敬意を表するとともに、深く感謝を申し上げます。
 さて、人口減少や少子高齢化、情報化の進展などを背景に、青少年を取り巻く環境が大きく変化をしてきており、人との関わりや職業観、地域への思いなども、より多様化、複雑化しています。
 本道の未来を担う青少年が、心豊かにたくましく健やかに育っていくことは、道民共通の願いであり、様々な環境変化の中にあっても、家庭や地域において多くの人々に愛され、粋を大切にし、誇りを持って成長していただきたいと考えています。
 河野様におかれては、今後とも、多くの仲間と共に本道の発展を支えてこられた先輩として、地域の青少年を温かく見守り、時には叱咤激励しながら、青少年の健やかな成長にお力添えを賜りますよう、お願い申し上げます。
 結びに、河野様のますますのご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げ、お祝いの言葉といたします。
Page 6-7

出版を記念して:北海道教育委員会教育長 佐藤 嘉大

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出版を記念して
北海道教育委員会教育長 佐藤 嘉大
 このたび、「深川に生きて 河野順吉伝」が出版されますことを心からお喜び申し上げます。
 河野様は、これまで、北海道青年団体協議会会長をはじめ、北海道青年団OB会会長を務めるなど、青年活動等を基盤に、地域の活性化はもとより、本道の次代を担う若者の育成を通じて、社会教育の推進にご尽力いただき、心から敬意を表するとともに、深く感謝申し上げます。
 さて、少子化による人口減少、急激な高齢化、グローバル化などを背景に、本道においては、地域産業を支える担い手の不足や生産・消費の縮小、地域におけるコミュニティ機能の低下など、様々な課題に直面しています。
 これらの課題を解決するためには、若者の柔軟な発想や行動力が大いに必要とされており、これまでの青年団活動に加え、NPOとの連携や地域の実情に応じた体制による青年の活動が大いに期待が寄せられています。
 無限の力を秘め、町づくりや地域づくりの先導的な役割を担う青年には、こうした課題に正面から向き合い、その解決に取り組み、活力ある北海道を築いていただきたいと考えています。
 かつて、河野様は、北海道青年団体協議会が結成20周年を迎えた大きな節目の昭和42年に開催されたスポーツの祭典「第18回全道青年大会」を会長として先導し、「青年の火」が五輪の聖火のように、国道沿道の各地域の青年団員がつなぎ合うという、まさに青年活動の原点を示すよう な演出をされました。
 河野様におかれましては、現代の青年たちが「青年の火」のごとく、青年同士の強いつながりを大切にして、勇気と希望を持って、地域での活動に取り組めるよう、引き続きお力添えを賜りますようお願い申しあげます。
 結びに、河野様のますますのご健勝とご多幸を祈念申しあげ、お祝いの言葉といたします。
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発刊をお祝いして: 元北海道青年会館理事長 岡 泰一

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発刊をお祝いして
元北海道青年会館理事長 岡 泰一
 私と河野さんとは、青春時代に北海道青年団体協議会の組織活動を通して知り合いまして、同協議会の常任理事をはじめ副会長や会長職を担いながら仲間づくりや地域づくりに参画して北海道の青年団活動に共に汗を流して今日に至っております。
 河野さんの人柄について、私が申すまでもありませんが、温厚実直でなんと言ってもフットワークと気配りの良さは抜群であり、そうした行動力が認められて河野さんの回りに人が集まり、推されて永く深川市議会議員を勤められ、その後深川市長として深川市の発展に大きく貢献されました。
 私も新篠津村村会議員を四十年に亘り議員活動を続けてまいりましたが、河野さんからは色々とアドバイスをいただきました。
 青年団活動を振り返りますと河野さんとは、北海道青年団体協議会の上部団体である日本青年団体協議会・日本青年館の役員となり今日まで頑張ってきたところであります、河野さん自身は日本青年団体協議会副会長の要職に就任し、当時は正に日本全国駆け回って活動しておりましたが、その一方で自宅の農業経営は大丈夫なのかと心配もしておりました。
 後で解ったことですが、河野さんが出張で家を空けるときは、前もって自ら朝早くから夜遅くまで田んぼに出て農作業に従事して、近隣農家に遅れないように働いていたそうです。
 また二人で青年団の会議で東京には幾度となく上京しましたが、その折将来の青年団活動の在り方について語り合い、そして何事も河野さんの指示をいただきながら常に行動したことが、今でも良き思い出として脳裏に蘇ります。
 さらに思い返してみますと、私は河野さんの深川市議会議員選挙、深川市長選挙に際して必ず選挙事務所に足を運び応援させていただきましたが、河野さんの地域を愛し市民を愛する態度を目の当たりにし、同じ議員の立場で大変勉強させられました。
 河野さんの顔の広さは自他共に認めるところですが、出札の折に二人で北海道庁を訪問し、知事はじめ副知事そして部長室や局長室にノーアポで伺っても面談することができて、懸案事項の情報収集などで助かることがありました、私も河野さんのお陰で道庁職員の方との人脈をつくり様々な活動に生かせることが多々ありました。


 北空知新聞で企画された「深川に生きて 河野順吉伝」を読ませていただき、改めて河野さんの生き方をより深…

河野順吉伝発刊を祝して: 元深川市農業委員会会長 関下 正夫

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河野順吉伝発刊を祝して
元深川市農業委員会会長 関下 正夫
 これまで、北空知新聞に連載されました『河野順吉伝』が、このたび統一書として出版されますことを識り、心底より嬉しく存じます。ありがとうございます。
 河野さんは青年期からとても活発な行動家でしたから、多くの団体の要職に就きまして、活躍をされました。
 その活動範囲は、青少年教育をはじめ社会福祉、スポーツ団体等々、誠に広範囲にわたり、東奔西走の働きをされておりました。
 平成六年市民の多くが、河野さんの行動と決断に眼を見張って絶大な拍手をしましたが、それはこれからの深川市づくりに必要な新しい市長像を見たからでした。
 深川市長選挙の立起表明以来、これまでにない河野さんに対する激励の人垣ができ、それが支援の輪となって、深川市内の地域ごとに強力な草根のような後援会が生まれました。
 当時、私は、河野さんの市長選出馬が新しい世紀に翔ける豊かな深川市のまちづくりに向けての市民の熱い期待の表れだったと思いました。
 河野さんの何事に対しても真剣に取り組む姿勢と情熱、そしていつも弱い立場の人々を考えながら、萎れる花にも涙する心の優しさを持っておられた。
 また、若い時から培った広範な人的交流と政治的センスで市民ニーズの把握と時代の先端を的確に見つめる判断力と確かな実行力は、これからの深川市長の理想像でありました。
 当然、河野さんを中心にした輸の広がりが、新しい風となって深川市の活力を生みだしていたものと思います。
 そして、河野さんを先頭に市民と共に考え、共に行動する新しい深川市のまちづくりに全力で邁進されましたことを心から感謝しているところであります。
 時を経まして、現在、衆議院議員として国政の場で活躍されました山下貴史様が深川市長に就任し、精力的に市政の運営をいただいておりますことに、敬意を表する次第であります。
 結びに、このたびの「深川に生きて 河野順吉伝」の発刊を心からお祝い申し上げます。
(元河野順吉連合後援会会長)
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「青年団こそわが人生」――発刊を祝して:翼の会世話人 堀 利幸

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「青年団こそわが人生」――発刊を祝して
翼の会世話人 堀 利幸

 「河野順吉伝」が上梓されると聞いて、とても嬉しく熱い思いが伝わってきました。そして河野さんとのいくつもの思い出が瞬時に脳裡を駆け巡ったのです。
 私が河野さんと出会ったのは、半世紀も前の昭和四十三年に行われた北海道百年記念「北海道中堅青年海外派遣事業」(通称・青年ジェット)のメンバーに決まり、その事前研修に参加した時でした。青年ジェットは北海道二世紀を担う青年に開拓者精神を身につける趣旨で、本道開拓に尽くされたクラーク博士のお墓(マサチュウセッツ州)にお参りして、アメリカの東から西へひと月にわたって民泊しながら研修する壮大なプロジェクトです。団長団四名、指導者二十一名、全道から試験を受けて合格した青年百五名の百三十名がジェット機をチャーターして七月三十日に出発し、九月二日の北海道百年記念祝典に出席して解散したのです。河野さんと私は指導者メンバーとして参加しました。
 帰国後は支庁管内ごとに「あすをつくる青年開発会議」(のちに「青年婦人国際交流センター」として活動)が組織され河野さんは空知管内の会長として大活躍されたのです。私も当初のころ役員の一人としてご一緒させていただきました。
 また青年ジェット参加者は、学校の卒業同期会とも言える「翼の会」を結成し、毎年欠かさず集まり活動してきました。昨年は「青年ジェット・翼の会五十周年」で高橋はるみ北海道知事さんと北海道青少年育成協会の竹谷千里会長さんから記念誌へのご寄稿、集いへのご出席を賜わりご祝辞と激励をいただきました。二つの事業は会員の理解と協力で成功裡に終えたのですが、河野さんは私の気付かないこと、及ばないことを補ってくださったのです。表に出ないで友情として支援する河野さんの人柄に私は心から敬服し感謝しています。
 河野さんが深川市長時代のことです。空知管内には二十七市町村長(現在は二十四市町)で組織する空知地方総合開発期成会があり、市町村や空知の発展に向けて国や北海道に提言したり要望したりしています。河野さんは副会長として会長(岩見沢市長)を支え、空知管内の発展に尽力されました。私は期成会事務局長のころにいろいろ相談に乗っていただいたのです。
 河野さんのこうした気くばりとエネルギーは若い時代の青年団活動で培われたと思っています。北海道百年のころは、北…

幅広い活動は地域の宝:北空知青年団OB会会長 田中 盛亮

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幅広い活動は地域の宝
北空知青年団OB会会長 田中 盛亮

 昭和三十六年、私は北竜町青年団体連絡協議会委員長の任を受け、北空知青年団体協議会(北青協)の初会議に出席致しました。当時の北青協は、十二ヶ町村(江部乙を含む、深川市合併前)で構成されていました。私は、前年まで町青協の役員でもなく、北青協の役員の方は殆ど面識のない人ばかりでした。自己紹介があり、その時初めて各町村の団長さん、委員長さんを知ることが出来ました。その中で、「私は音江のカワノジュンキチでございます」と紹介が有り、コウノでないんだと確認致しました。
 その後、会議の中でも河野さんの言葉使いや態度に接し、田舎者の私には劣等感と感激を覚えたことは今でも脳裏から離れません。私の妻も音江出身で、夫婦共々友達的な付き合いをさせていただき、議会活動も含め今日まで約六十年、変わらぬご指導を賜りました。
 昭和四十一年、河野さんは北青協の会長を経て、道青協の副会長に立候補致しました。当時は青年団活動も活発な時代で、役員選挙も激戦で、毎回二分する戦いが繰り広げられましたが、副会長候補の河野さんは両陣営から支持され、満票に近い成績で当選されました。それ程全方位に信頼があったと云うことです。
 その後、道青協会長、日青協副会長、日青館理事等を務め、その人柄は誰からも信頼され、広く人脈を築いたことでした。父、健一郎さんも人格者で、数多くの公職を持ち、家族あげて公に尽くされた一家でした。
 村議六期、市議一期務められた健一郎さんも病に倒れ、五十九歳の若さでこの世を去りました。地域の星をなくした菊丘では、その後任に息子の順吉さんを推し、見事当選させました。若き二十九歳の春でした。
 副議長を含め市議七期務めた河野さんは、五十六歳の若さで市長選に挑み見事当選したのでした。河野さんは市長四期途中退任するまで一生を公にささげた人でした。
 この度「深川に生きて 河野順吉伝」発刊の知らせをいただきました。私は、五〇回の連載を全て切り取り、時あるごとに目を通しております。私は河野さんのことは全て承知しているつもりでしたが、十分の一も知っていなかったことを恥ずかしく思っております。大きな仕事をする方は必ずそのことを支える奥さんの姿があります。河野さんの奥さん、申子さんもそうでした。私からも有難うと申し上げます。
 取り組まれた事業の発想と実…

「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり:友人代表 木村 亀太郎

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「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり
友人代表 木村 亀太郎
 郷土紙、北空知新聞に長期に亘り、前深川市長河野順吉氏の半生を追った「深川に生きて 河野順吉伝」が連載されました。
 各方面からの反響もあり、多くの読者に愛読されました。〝これをまとめて出版しては〟との声があがり、今日出版の運びとなりました。
 友人として深川農業高校時代、青年活動時代そののち深川市議会議員として活躍、次には深川市長を長きにわたり務められた時代も、そのご苦労の数々の一部でありましたが、応援してきた一人の友人として、この人生のまとめの出版物が完成できた喜びを心からお祝い申し上げます。
 河野順吉氏は、深川市の東部に位置する菊丘の地に生まれ、先祖代々聞こえのよろしい名家の出身です。
 地域社会にご父母様の徳が積まれた農家の後継者として生まれ農業高校に学びました。
 自宅から神居古潭の駅まで自転車で十五キロメートルの道のりを走り、そして深川駅から学校まで徒歩で三十分の行程でありました。
 この通学の時間に何を思い何を思索されていたのかと思う時、健康な肉体に健全な精神が養われていったのであろうと感ずるのであります。
 農業の将来に大きな夢を抱きながら春、夏、秋の働き手として家業を助けながら学業に励む姿を私達同期の者は共に手をとり合い励ましあってきたのです。
 高校卒業と同時に農村青年の育成活動を始め、その資質の向上に全力投球されたこと、町の青年団活動における北空知の代表としての指導者の道を進みました。
 その後父上の他界により、後継者として二十九歳の若さで深川市議会議員選挙に出馬し見事に地域青年の代表として当選し、行政の道に進まれました。
 その後当選の回数を重ねて多くの市民の信頼のもと深川市長の要職に就かれました。
 このように素晴らしい活動が出来たのは、本人の天性はもとより、健康でたぐいまれなる勤勉性と努力、その上に信頼して下さった市民の皆様の熱いご支援の賜物でありました。
 順吉さんは、何よりも信仰心の深いご家庭に育ちご先祖からの河野家代々の徳積みがされていたからこそ、この様なお仕事をさせていただけたのでしょう。「善いことが成就するには、神様のご加護があってこそ」と私は信じます。
 このたび人生のまとめとして、出版されるにあたり、お喜びを一言申し述べ、お祝いの言葉と致します。
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