「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり:友人代表 木村 亀太郎

「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり  友人代表 木村 亀太郎「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり  友人代表 木村 亀太郎




「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり

友人代表 木村 亀太郎

 郷土紙、北空知新聞に長期に亘り、前深川市長河野順吉氏の半生を追った「深川に生きて 河野順吉伝」が連載されました。

 各方面からの反響もあり、多くの読者に愛読されました。〝これをまとめて出版しては〟との声があがり、今日出版の運びとなりました。

 友人として深川農業高校時代、青年活動時代そののち深川市議会議員として活躍、次には深川市長を長きにわたり務められた時代も、そのご苦労の数々の一部でありましたが、応援してきた一人の友人として、この人生のまとめの出版物が完成できた喜びを心からお祝い申し上げます。

 河野順吉氏は、深川市の東部に位置する菊丘の地に生まれ、先祖代々聞こえのよろしい名家の出身です。

 地域社会にご父母様の徳が積まれた農家の後継者として生まれ農業高校に学びました。

 自宅から神居古潭の駅まで自転車で十五キロメートルの道のりを走り、そして深川駅から学校まで徒歩で三十分の行程でありました。

 この通学の時間に何を思い何を思索されていたのかと思う時、健康な肉体に健全な精神が養われていったのであろうと感ずるのであります。

 農業の将来に大きな夢を抱きながら春、夏、秋の働き手として家業を助けながら学業に励む姿を私達同期の者は共に手をとり合い励ましあってきたのです。

 高校卒業と同時に農村青年の育成活動を始め、その資質の向上に全力投球されたこと、町の青年団活動における北空知の代表としての指導者の道を進みました。

 その後父上の他界により、後継者として二十九歳の若さで深川市議会議員選挙に出馬し見事に地域青年の代表として当選し、行政の道に進まれました。

 その後当選の回数を重ねて多くの市民の信頼のもと深川市長の要職に就かれました。

 このように素晴らしい活動が出来たのは、本人の天性はもとより、健康でたぐいまれなる勤勉性と努力、その上に信頼して下さった市民の皆様の熱いご支援の賜物でありました。

 順吉さんは、何よりも信仰心の深いご家庭に育ちご先祖からの河野家代々の徳積みがされていたからこそ、この様なお仕事をさせていただけたのでしょう。「善いことが成就するには、神様のご加護があってこそ」と私は信じます。

 このたび人生のまとめとして、出版されるにあたり、お喜びを一言申し述べ、お祝いの言葉と致します。
Page 18-19

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発刊に寄せて:『深川に生きて 河野順吉伝』出版記念協賛会会長 石田 明男

第3楽章:"深川交響楽団の指揮者"に賭す

表紙・はじめに

目次

発刊を祝して:北海道知事 高橋 はるみ

写真集"思い出の一コマ"

出版を記念して:北海道教育委員会教育長 佐藤 嘉大

発刊をお祝いして: 元北海道青年会館理事長 岡 泰一

河野順吉伝発刊を祝して: 元深川市農業委員会会長 関下 正夫