深川に生きて 河野順吉伝 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1/01/2020 深川に生きて 河野順吉伝 本編は二〇一七年(平成二十九年)七月二十六日から一八年(平成三十年)十二月五日にかけて北空地新聞に五十回にわたり連載された記事を、再編したものです。 本文中の敬称を省略しました。氏名の後の年齢(( )内)は、特にことわりのない場合、連載時のものです。 Page 23 ◇ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
青年団活動こそわが人生 1/01/2020 青年団活動こそわが人生 「もはや戦後ではない」と経済白書(五六年)が宣言したころの日本は、「協働」やら「補完性の原理」といった能書きが晴れ着をまとった言葉と映るほど幸せな時代でもあったろう。 その頃、そういった社会システムは、無形の「志」が担い、小さな集落ごとに連綿と受け継がれた。「協働」というシステムと、それを担保とする「補完性の原理」を声高に叫ぶ昨今社会は、「志」が細ってきた証しでもあろうか。 連綿と受け継がれるその「志」を自らの人生修練と課し、河野は人脈を広げ、政治信条の背骨としていく。 Page 32 ♪ ♪ 戦後じゃない――と、経済白書が宣言した翌年、河野は北海道立一已農業高校(後の深川農業高校)を卒業する。 卒業と同時に、そのころ入団するのが当たり前であった青年団の門をくぐる。「青年団活動なんです、私は。私の根っこはね、青年団なんです」 河野は入団と同時に水田連蔵を会長に据え「菊丘酪改4Hクラブ」(若い農業者らでつくる経営研究プロジェクト組織)を立ち上げる。「集団の中で人間形成しなさい」――。一已農高入学を勧めた同校の高垣泰彦主事の教えが河野の胸にあったからだ。 集団は鏡――。ことあるごとに河野は言う。「集団は鏡だね。集団が、他者一人ひとりが自分の鏡だからね。『まだまだ』『俺はもう少し頑張らないといけない』と思ったねぇー」 青年団は"火消しの若衆組"が、始祖とされる。域内の問題・課題を自ら掘り起こし力を合わせ協力して解決にあたるとともに生活の質を高めようというのが青年団活動だった。盆踊りといったイベントを手弁当でやったりもした。河野は農業を営みつつ、青年団活動に没入していく。 ♪ ♪ 河野がオリジナリティーを発揮するのは卒業から二年後。青年団のリーダーに就いた河野は、青年団と自ら結成した4Hクラブを合併して新組織・「菊丘青年会」を立ち上げ会長となる。荒業だった。菊丘に限らず、ときに対立することが少なくなかった青年団と4Hクラブ――。当時、その合併は珍しかった、と河野は述懐する。 仲良く、みんなで行動する、地域を良くする――。かくありたい、と河野は思ったからだ。実感してもらおうと河野は策に出る。 続きを読む
発刊に寄せて:『深川に生きて 河野順吉伝』出版記念協賛会会長 石田 明男 1/01/2020 発刊に寄せて 「深川に生きて 河野順吉伝」出版記念協賛会会長 石田 明男 地域のニュースを伝える郷土紙・北空知新聞社が創業後初めて企画連載された前深川市長河野順吉氏の半生を追った自分史とも言える「深川に生きて 河野順吉伝」を毎回興味深く読んでおりました。 このたび、「深川に生きて 河野順吉伝」の出版の声が各界各方面から数多く寄せられましたことを受け、 河野さんと親交のある有志をもって協賛会を立ち上げまして、 小生がその発刊の任を引き受けたところであります。 振り返って見ますと河野さんとのお付き合いは、 深川市議会の同僚議員として様々な議会活動を通しまして、 微力ではありましたが共に市民の福祉増進はもとより深川市の発展 を願いながら日夜、 地域に足を運びながら市民の声を議会に届けてまいりました。 議員時代の河野さんは、 人当りの良さから敵を作らず自ら相手の懐に入っていく、 もって生まれた人徳があり誰もが真似のできないものがありました。 各政党の政策の違いで議員同士の問題解決に当たっても率先して対話の精神でまずは相手の話にじっくり 耳を傾けてから、意見を述べておられました。 私が深川市議会議長に就任したときに河野さんは副議長として支え てくださり、とりわけ議会開会中は常に円滑な議会運営を果たすべく裏方として粉骨砕身の働 きをされまして、まさに深川市議会の中核を担っておりました。 また、 道外で開催されました全国市議会議長会議で共に出席したときに、 河野さんが青年期に中央において日本青年団体協議会副会長の要職を担って大いに活躍 されていたこともあり、その当時の全国の青年団仲間の多くが議員として各県において活動され ておりました、私は河野さんが会議の合間に全国各市の議長と談笑している姿を何度も拝見し、 河野さんの人脈とその顔の広さに改めて驚いたことを昨日のことのように覚えております。 深川市長に就任されてからも、 終始一貫市民の中に自ら飛び込んで様々な声を聴きながら地域の要望を着実に達成されました行動力と行政手腕を私は高く評価し ている一人であり、河野市長時代に深川市民の幸福度は一段と向上していたものと認識していま す。 市長在任中は、市職員とともに「チームワーク・フットワーク・ ネットワーク 続きを読む
第3楽章:"深川交響楽団の指揮者"に賭す 1/01/2020 第3楽章 "深川交響楽団の指揮者"に賭す 地方自治体の首長は「政治家」なのか、はたまた「事務方トップ」なのか?――。 多様な意見があるだろう。論は尽きない。ある意味、正答はない、と言ってもいい。それを担う者が自らのスタンスを定め、ぶれなければ……。 深川市という地方公共団体を"深川交響楽団"と、なぞらえて言えば、「市長」は、指揮者ともいえる。指揮者は楽団員の構成を担いながら唯一音を発しない。団員一人ひとりは市職員一人ひとりであり、木管や金管、バイオリンといった各セクションは、市組織機構の各部署に例えることもできる。 して、「聴衆」は、「市民」であろう。 テンポ、アクセントの強弱、各声部の扱い方……。同じ交響曲を演奏しても指揮者によってずい分違う。テンポを微妙に動かしうねるように早くしたり、おそくしたりして情念の塊のような演奏をした二十世紀を代表する名指揮者・ウィルヘルム・フルトヴェングラー、逆にインテンポで押し通し淡白のようで、されどその曲が内包する美しさを見事に表出したカール・シューリヒト……。 無能なオケは存在しない、指揮者が無能なのだ――。古くから西洋音楽界には、そんなことわざもある。名指揮者は楽団員一人ひとりの力を引き出す――と。指示を与え、各セクションがそれに呼応し、オーケストラ全体(音楽全体)が美しい音色を奏でるか否かは指揮者にかかる。ただ、市井(しせい)の機微に応じた指示かどうか、総じて美しい音色か否かを判断するは聴衆・市民である。 ♪ ♪ 「政治家であるべきだ」。自治体首長は「政治家」か、あるいは「事務方トップ」か――。そう河野に問うと、間髪を入れず、一顧だにせずそう答えた。 Page 70 「だからみんなの声をね拾って、ときに道や国、他団体を動かすことが大事だ。私のスタンスだ。できないものを……」。「できないものを」「できるようにする」「実現する」――。河野はそれに心血を注ぐことになる。 ♪ ♪ <写真> 初登庁の折、庁舎前で支持者・市職員の歓迎の中、 市職員より花束を受け取る河野 九四年十月十七日、深川市役所前――。深川市長・河野の初登庁だった。二日夜に当選が決まり、翌三日、市議時代の後援会 続きを読む
表紙・はじめに 1/01/2020 『深川に生きて』表紙 ありがとう 河野順吉伝 「河野順吉伝」出版記念協賛会 深川に生きて 河野順吉伝ありがとう 出会った皆様に感謝 我が人生を支えてくださった皆様に感謝 多くの皆さまから受けたご恩に感謝 家族に感謝 ありがとう 順 吉 ◇ 続きを読む
目次 1/01/2020 目次 ・発刊に寄せて 「深川に生きて 河野順吉伝」出版記念協賛会会長 石田 明男..........4 ・発刊を祝して 北海道知事 高橋はるみ......................... ......................................... ............ 6 ・出版を記念して 北海道教育委員会教育長 佐藤 嘉大............................ ........................8 ・発刊をお祝いして 元北海道青年会館理事長 岡 泰一............................ ..................10 ・河野順吉伝発刊を祝して 元深川市農業委員会会長 関下 正夫............................ ...... 12 ・「青年団こそわが人生」発刊を祝して 翼の会世話人 堀 利幸............................ .. 14 ・幅広い活動は地域の宝 北空知青年団OB会会長 田中 盛亮............................ ..........16 ・「深川に生きて 河野順吉伝」発刊にあたり 友人代表 木村亀太郎......................... . 18 * * * ・『河野順吉伝』のこと 文芸評論家 志村 有弘........................... 20 深川に生きて 河野順吉伝 ・プレリュード........................ .............................. .............................. .............................. .....24 ・第1楽章 出生・幼少期........................ .............................. .............................. ...............................26 腕白少年.......................... ...... 続きを読む
発刊を祝して:北海道知事 高橋 はるみ 1/01/2020 発刊を祝して 北海道知事 高橋 はるみ このたび、北海道青年団OB会会長の河野順吉様の半生を綴った「深川に生きて 河野順吉伝」が発刊されますことを心からお祝い申し上げます。 河野様は、これまで、北海道青年団体協議会会長を務めるなど、本道における青年団活動のリーダーとしてご活躍されており、昭和43年には、北海道一〇〇年記念事業として実施された北海道青少年育成推進協議会(現・公益財団法人北海道青少年育成協会) 主催の「北海道中堅青年海外派遣事業」に参加されるなど、 様々な活動に取り組んでこられました。 また、青年団の卒団後においても、 北海道青年団OB会会長として、後輩の育成に努められるとともに、機関誌の「北海青年」 において北海道の将来に関し様々なご提言を発信されるなど、青年団活動等を通じ、 永きにわたり地域振興や人材育成にご尽力をいただいているところ であり、心から敬意を表するとともに、深く感謝を申し上げます。 さて、人口減少や少子高齢化、情報化の進展などを背景に、 青少年を取り巻く環境が大きく変化をしてきており、人との関わりや職業観、 地域への思いなども、より多様化、複雑化しています。 本道の未来を担う青少年が、 心豊かにたくましく健やかに育っていくことは、道民共通の願いであり、様々な環境変化の中にあっても、 家庭や地域において多くの人々に愛され、粋を大切にし、誇りを持って成長していただきたいと考えています。 河野様におかれては、今後とも、 多くの仲間と共に本道の発展を支えてこられた先輩として、地域の青少年を温かく見守り、時には叱咤激励しながら、 青少年の健やかな成長にお力添えを賜りますよう、お願い申し上げます。 結びに、 河野様のますますのご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げ、 お祝いの言葉といたします。 Page 6-7 ◇ 続きを読む
写真集"思い出の一コマ" 1/01/2020 写真集 "思い出の一コマ" <上> 順吉6歳 兄孝仁10 歳(1944年) <下> 家族旅行 孫が幼い頃は母・千代と河野夫妻、子供、孫と共に Page 144 <上> 市長当選のよろこび(1994年) <下> ダルマに目を入れる河野夫妻(1994年) Page 145 <上> 地元音江神社例大祭祭典委員長をつとめる 妻・申子と共に(1979年9 月10 日) 猿田彦は佐伯英夫 <下> イオンド大学名誉博士号を受章し市役所幹部職員に祝福を受ける( 1999年) Page 146 <上> 市長選の投票日に 母・千代と河野夫妻 当選を信じて <下右> 市長の顔 <下左> 市役所前庭に深川市開基110 年を記念して建てられた『大地の恵み』の像 彫刻は福井尚敏(深川出身・茨城県坂東市在住)、題字は河野による(1996 年) Page 147 <上> 新幹線にかける夢を持ち寄った北海道各界トップ 左から、河野、武井正直道経営者協会会長、 大盛義弘道経済同友会代表幹事、 小里貞利衆院議員、高橋はるみ知事、 横山末雄札幌商工会議所副会頭、 坂本JR北海道会長、山本邦彦北海道副知事(2004 年6月5 日) (小里貞利先生の60年の足跡 アルバムの中から) <下> 全国青年団出身市長会 群馬県前橋市萩原市長の招きの宴席で代表して盃を戴く河野 Page 148 <上右> 参議院議員長谷川岳先生 <上左> 長谷川岳先生(よさこいソーラン祭の立役者)の創設から、深川市で7年間続いたジュニアよさこい祭にて 日下阿久里リーダーと娘の瑞希ちゃん(4歳・河野の前) <下>友情のあかし 愛知県安城市の杉浦市長よりプレゼントされた七夕まつりの竹飾りを、市文化センターロビーに飾る Page 149 <上> まあぶ祭で料理家・ クッキングキャスターの星澤幸子先生を招いて皆さんにご紹介 <下> 佐賀県 深川製磁(有田焼)訪問時、職員の方から説明を受ける Page 150 <上> 西尾沼富鳥取市長をお迎えして、しゃんしゃん傘踊り(深川市のふ 続きを読む
出版を記念して:北海道教育委員会教育長 佐藤 嘉大 1/01/2020 出版を記念して 北海道教育委員会教育長 佐藤 嘉大 このたび、「深川に生きて 河野順吉伝」が出版されますことを心からお喜び申し上げます。 河野様は、これまで、北海道青年団体協議会会長をはじめ、北海道青年団OB会会長を務めるなど、青年活動等を基盤に、地域の活性化はもとより、本道の次代を担う若者の育成を通じて、社会教育の推進にご尽力いただき、心から敬意を表するとともに、深く感謝申し上げます。 さて、少子化による人口減少、急激な高齢化、 グローバル化などを背景に、本道においては、地域産業を支える担い手の不足や生産・消費の縮小、 地域におけるコミュニティ機能の低下など、様々な課題に直面しています。 これらの課題を解決するためには、 若者の柔軟な発想や行動力が大いに必要とされており、これまでの青年団活動に加え、 NPOとの連携や地域の実情に応じた体制による青年の活動が大いに期待が寄せられています。 無限の力を秘め、 町づくりや地域づくりの先導的な役割を担う青年には、 こうした課題に正面から向き合い、その解決に取り組み、 活力ある北海道を築いていただきたいと考えています。 かつて、河野様は、北海道青年団体協議会が結成20周年を迎えた大きな節目の昭和42年に開催されたスポーツの祭典「第18回全道青年大会」を会長として先導し、「青年の火」が五輪の聖火のように、国道沿道の各地域の青年団員がつなぎ合うという、 まさに青年活動の原点を示すよう な演出をされました。 河野様におかれましては、現代の青年たちが「青年の火」 のごとく、青年同士の強いつながりを大切にして、勇気と希望を持って、 地域での活動に取り組めるよう、引き続きお力添えを賜りますようお願い申しあげます。 結びに、河野様のますますのご健勝とご多幸を祈念申しあげ、 お祝いの言葉といたします。 page 8-9 ◇ 続きを読む
発刊をお祝いして: 元北海道青年会館理事長 岡 泰一 1/01/2020 発刊をお祝いして 元北海道青年会館理事長 岡 泰一 私と河野さんとは、青春時代に北海道青年団体協議会の組織活動を通して知り合いまして、同協議会の常任理事をはじめ副会長や会長職を担いながら仲間づくりや地域づくりに参画して北海道の青年団活動に共に汗を流して今日に至っております。 河野さんの人柄について、私が申すまでもありませんが、温厚実直でなんと言ってもフットワークと気配りの良さは抜群であり、そうした行動力が認められて河野さんの回りに人が集まり、推されて永く深川市議会議員を勤められ、 その後深川市長として深川市の発展に大きく貢献されました。 私も新篠津村村会議員を四十年に亘り議員活動を続けてまいりまし たが、河野さんからは色々とアドバイスをいただきました。 青年団活動を振り返りますと河野さんとは、 北海道青年団体協議会の上部団体である日本青年団体協議会・ 日本青年館の役員となり今日まで頑張ってきたところであります、 河野さん自身は日本青年団体協議会副会長の要職に就任し、 当時は正に日本全国駆け回って活動しておりましたが、 その一方で自宅の農業経営は大丈夫なのかと心配もしておりました 。 後で解ったことですが、河野さんが出張で家を空けるときは、 前もって自ら朝早くから夜遅くまで田んぼに出て農作業に従事して、 近隣農家に遅れないように働いていたそうです。 また二人で青年団の会議で東京には幾度となく上京しましたが、 その折将来の青年団活動の在り方について語り合い、 そして何事も河野さんの指示をいただきながら常に行動したことが 、今でも良き思い出として脳裏に蘇ります。 さらに思い返してみますと、私は河野さんの深川市議会議員選挙、 深川市長選挙に際して必ず選挙事務所に足を運び応援させていただきましたが、 河野さんの地域を愛し市民を愛する態度を目の当たりにし、同じ議員の立場で大変勉強させられました。 河野さんの顔の広さは自他共に認めるところですが、 出札の折に二人で北海道庁を訪問し、知事はじめ副知事そして部長室や局長室にノーアポで伺っても面談す ることができて、懸案事項の情報収集などで助かることがありました、 私も河野さんのお陰で道庁職員の方との人脈をつくり様々な活動に生かせることが多々ありました。 続きを読む
河野順吉伝発刊を祝して: 元深川市農業委員会会長 関下 正夫 1/01/2020 河野順吉伝発刊を祝して 元深川市農業委員会会長 関下 正夫 これまで、北空知新聞に連載されました『河野順吉伝』が、このたび統一書として出版されますことを識り、心底より嬉しく存じます。ありがとうございます。 河野さんは青年期からとても活発な行動家でしたから、多くの団体の要職に就きまして、活躍をされました。 その活動範囲は、青少年教育をはじめ社会福祉、スポーツ団体等々、誠に広範囲にわたり、東奔西走の働きをされておりました。 平成六年市民の多くが、 河野さんの行動と決断に眼を見張って絶大な拍手をしましたが、 それはこれからの深川市づくりに必要な新しい市長像を見たからでした 。 深川市長選挙の立起表明以来、 これまでにない河野さんに対する激励の人垣ができ、それが支援の輪となって、 深川市内の地域ごとに強力な草根のような後援会が生まれました。 当時、私は、 河野さんの市長選出馬が新しい世紀に翔ける豊かな深川市のまちづ くりに向けての市民の熱い期待の表れだったと思いました。 河野さんの何事に対しても真剣に取り組む姿勢と情熱、 そしていつも弱い立場の人々を考えながら、萎れる花にも涙する心の優しさを持っておられた。 また、 若い時から培った広範な人的交流と政治的センスで市民ニーズの把 握と時代の先端を的確に見つめる判断力と確かな実行力は、 これからの深川市長の理想像でありました。 当然、河野さんを中心にした輸の広がりが、 新しい風となって深川市の活力を生みだしていたものと思います。 そして、河野さんを先頭に市民と共に考え、 共に行動する新しい深川市のまちづくりに全力で邁進されましたことを心から感謝しているところであります。 時を経まして、現在、 衆議院議員として国政の場で活躍されました山下貴史様が深川市長 に就任し、精力的に市政の運営をいただいておりますことに、 敬意を表する次第であります。 結びに、このたびの「深川に生きて 河野順吉伝」の発刊を心からお祝い申し上げます。 (元河野順吉連合後援会会長) Page 12-13 ◇ 続きを読む
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