人の恩に感謝し、人との出会いの絆を大切にしなさいと両親から教えられ早くも八十歳を迎えようとしているとき、北空知新聞社から取材の依頼を受け、私自身はそんな器ではないことを一番知りつつも信頼している方々に相談させていただきました。
皆様からは、取材を受けるべきとの励ましのお言葉を賜り、一週間ばかり自問自答を繰り返し保留にしておりましたが、私ごときに恥ずかしながらご指名をいただいたことに感謝し、お引き受けをした次第です。
掲載にあたり北空知新聞間山記者には、取材活動に大変なご苦労をいただきましたが、この間多くの先輩、同志の方々にも新聞社よりのお聴き取りをいただき対応なされた方々に衷心よりお礼を申し上げます。
幸いに記事の連載は、平成三十年十二月をもって無事終了しましたが、読者の方から新聞を発行された時々、さらに完結の折には一冊の本にまとめてはとの、心温まるご進言をいただきました。私は、作家志村有弘様にご相談させていただきました。
早速、志村様から私の出来る限りご協力をさせていただくとの有り難いお言葉もあり、先輩で私の深川市議会議員時代の石田元議長様に出版協賛会の会長をお引き受けいただくこととなりました。
お陰様で関係される皆様のご尽力でこのたび発刊に至りましたことは、誠に感謝に堪えなく心から厚くお礼を申し上げるところであります。 特に発刊に際しまして、日頃よりご指導を賜り尊敬申し上げております高橋はるみ北海道知事様、佐藤嘉大北海道教育長様をはじめ、快くご寄稿を賜りました方々に心から敬意を表しお礼申し上げます。株式会社パワープランナー髙木武社長、制作部の荒木和佳子さんには大変ご苦労をおかけいたし心から感謝します。
ここに、私の大好きなふるさと深川に生きての自分史にまとめていただき重ねて感謝を申し上げる次第であります。
紙面をお借りして大変恐縮ではありますが、私の妻申子は、河野家に嫁いでこれまで、私の青年団活動からはじまり市議会議員そして深川市長として、それぞれの与えられた仕事に邁進できましたことは、家業をはじめしっかり家庭を守り続けてくれたお陰であります、妻申子に対し、心からの感謝を捧げたいと思います。
今後は、家内共々健康に留意し皆様に迷惑をかけず、好きな言葉の笑顔で毎日の生活ができるように心がけてまいりたいと思います。
心からすべての皆様に、「ありがとうございます」と申し上げ、私のお礼のことばといたします。
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